すぐ不快感に気づければ生きるのが楽
不安や疑心暗鬼や裁かれている感覚や恐怖など、いろ〜んなタイプの不快感がありますね。
同じ不安でも、お金の不安や人間関係の不安やちょっとした日常の中の不安など(家の鍵閉めたっけ?とか?)いろんなところで不快感のきっかけになる出来事ってありますよね。(現実でも脳内でもどちらでも)
支配されずに心地よく生きていくには、不快感がやってきた時に「あ!これ不快感だ〜」って気づければその後は心に邪魔をとってもらえるので(最初はタイムログがあったりしますが、心に聞くをコツコツ続けていればどんどんスムーズになりますし、心はいつでも、必ず邪魔を排除してくれます)全然へっちゃらなんです。
ですが、心に聞くがまだ自分に浸透していなかったり、酔っぱらいが強いと、
最初の不快感からさらに考えて嫌な考えが膨れあがり、ず〜ん。。。と不安な時間をかなり長く過ごすことになったりします。
嫌ですよね〜、不快感に捕らわれている時間って。。
ですが、だんだん慣れてくると「あ!不快感きた!捕らわれてる!」っていうのが分かってくるのですぐさま、「これ、私のじゃないです〜とってください〜」という会話が心とできます。
どんな不快感も悩みも本当に本来の私のものじゃないんです。
だから必ず、心は邪魔をとってくれますし、な〜んにも考えていない自分に戻れます。
この状態は本当に楽です。
日々訓練ですね。
常識は支配にもってこいのツール
自由になっていくにつれて、常識や世間と言われるものの存在がどうでもよくなってきます。自分がどうしたいかな〜が基準ですから。
ですが、まだ支配されて酔っぱらっている状態だと、常識や世間に従わないと最終的には死ぬ〜!っていうところまで追いつめられるような気がします。
独りぼっちになって、惨めな死を迎える、、とか。笑
それは支配がつくりだす幻想なのですが、支配されていると本当にそれがリアリティをもってしまうんですよね。
その現実味ったら、すごいです。どう考えても自分が間違っている!と実際に支配者さんに責められることもありますし、支配されてる虚無さんも含めて集団で裁かれることもあります。
家族に支配者さんがいて、常識を重んじるタイプだと、なお世間というものさしに執着させられているかもしれません。
そういった常識を使った幻想を入れられて、もやもや〜が自分の中に広がってきたら心に聞きます。
「それ、本当かな?」「常識を気にしてしまうのは本当のわたしの気持ち?」「これは私のものじゃないので、入れてきた人に返してください〜」「本来の安心した感覚に戻してくださ〜い」など。
心と会話ができると安心感が広がりますし、時間はかかっても心はちゃんと不快感をとってくれます。
幻想の渦中にいるとどうしても現実としか思えなかった不快感がとれると、「あ〜本当にあれはイリュージョンだったんだ・・」と思います。
そして常識や世間について本来の私はどう思っているのか心に聞いてみると、
「どうでもいい〜なんとも思ってな〜い」って返答してくれました。
あんなにリアリティをもって迫れる支配者さん、すごい!です。
偽りの真実の中で生きるのをやめる
前回の続き、攻略法
前回、頭で考えていることには真実はないというお話を書いて、普段どれくらい自分は"考えている"のか意識してみました。
まぁ、少しの隙があれば、考えていますね〜〜〜〜。笑
そしてそれが不快感の始まりであることもわかりました。不快感には敏感になってきていましたが、その始まりを追っていくと頭で何かを考えだした時だったんです。
何かの出来事や、現実が自分を不快にしているわけではなくて、不快感の始まりからその全てはやっぱり脳の中だけで起こっているんですね〜。これぞ脳ネットワーク!
なので、何かを考えだしたな!と思った瞬間に
「考えていることに真実はない」と唱えてみるというのをやってみたんですが、、なんだかいい感じ。
「あ、そうだった、考えてるってことは私のものじゃないな」と客観的になれて、そこから始まる支配にまきこまれず、邪魔がなくなって頭が静かな状態になります。
考えだすと、途端にそれが暗示になって現実味を帯びてしまうので、何かを頭でこねくり回したらすぐ!唱えてみるといいです。
脳ネットワークっておもしろい。よくできた仕組みですよね〜〜〜〜。
自分なりの攻略法、もっともっと見つけていきたいです。
頭で考えていることに真実はない
考えるという行為は、意識か無意識かで言うと、意識状態。
無意識は自分で認識できない部分ですから、認識できている時点で何かを考えている、ということ。人と会話をしているときや、何かをしているとき、一人のとき、行為に没頭しきれていない時は大体頭で何かを考えていますよね。
「この人の言っていること矛盾してるな」とか、
「あ〜次はこれやらないと」とか、
「昨日あの人に変なことしちゃったかな」とか、、、
何かを頭の中で想像したり、考えたりすることが当たり前になりすぎていますが、実はその行為には私たちにとっての自由はないんです。
虚無にとっての真実は、無意識の世界にある。
ということは、認識できている考える、という意識上の行為、その内容には虚無にとっての真実はない。
逆に考えることによって、支配者とつながり執着させられる。支配者は意識の世界で支配をしてきますから。
「考える」という行為は支配者へつながるツールなんですね。
一日の間、自分がどんなことを考えていて、支配者につながる状態になっているのか、意識してみよう。
そしてすかさず、「心よ!」で無意識とつながっていこうと思います。
常識は幻想世界のもの
常識って何なんでしょうね?
支配者さんはこの常識というルールを使うのがとっても上手。
なぜなら支配者さんが人を支配するために作り上げたものだから。
私が常識を乗り越えるために考えた遊びがあります。
それは、「もしも〜だったら?」と常識や思い込みを逆転してみる、というもの。
例えば、会社に勤めていないといけない!という常識を持っていて、その思い込みに縛られているなら、
「もしもみんなが自営業で、生き生きと家で働いていて、会社勤めなんてやるもんじゃないと言われているような社会だったら?」と考えてみる。
同じように、
友達は多い方が素晴らしい!と思っているなら、
「もしも友達は少ない人の方が信頼できると言われている社会だったら?」とか。
結婚しないと!と思っているなら、
「結婚してるなんて時代遅れで、誰もしてなくて結婚制度が破綻しているような社会だったら?」とか。
もしもこういう社会だったら本当に自分は今思い込んでいることをするかな?いや、しないな〜って思う。そうすると結局、認めてほしい、理解してほしい、愛されたいという承認欲求によって、常識や思い込みに執着していたんだと分かるんです。
でも虚無には承認欲求も、常識も思い込みも必要ないんですよね。その構造が偽りの愛で支配してくる支配者さんによるものと客観的に分かれば、そこに執着してる場合じゃないってことも分かる。
執着も支配者さんによってさせられているんですが。
そしてまた常識や思い込みが自分の中にやってきたら、ばんばん心に排除してもらう!
これを繰り返していく。きっといつの間にか常識や思い込みがひっくり返っているはず。