心に聞く日記

心理学メソッド「心に聞く」を実践中です。日々の変化を書いています^^

別にへいき〜な感覚

虚無の真実の世界には善悪も、正しい間違いもありません。

もちろんあらゆる暗示もありません。がちがちに支配されていた虚無さんも、酔っぱらいがとれてくると、支配者の世界観の中にいても、「別に平気〜」になってきます。

どんな判断も本来の自分には必要ないってことがわかってるから、受け流せるんですね〜。

ジャッジメントから解放されて、「そんなことより楽しいことしよ〜」という世界観に生きられるようになります。

酔っぱらってると、暗示がそもそも嘘、なんて信じられないですけどね!当人はものすごいリアリティをもって、暗示の世界観に浸っていますから。

自分にかかった暗示をどんどんといていきましょ〜〜



支配者さんのホーム

支配者さんの仕事場は意識上です。

だから意識状態は支配者さんのホームグラウンド。

現代は意識を刺激させる仕掛けがいっぱいですから、よほど意識して無意識状態でいないと、いつのまにか支配者さんにいい仕事をさせられてしまいます。

人との会話、インターネット、常識などの社会的ルール、メディア、画面の光、満員電車、あらゆる思い込み、、色んなところに意識を刺激させ、考えさせる仕掛けがいっぱい。

心よ、と話しかける、遺伝子コードを唱える、ぼーっとする、寝る、なにかに没頭する、など考えない時間を増やして無意識とつながっていきましょう〜

無意識状態は虚無のホームグラウンド!

無意識は無敵

脳のネットワークを使って仕事をする支配者さんですが、脳のネットワークは意識にしか働きかけられないんですね。

無意識には手をだせない。

だから無意識状態でいることが、支配者さんに対する最大の防御とも言えるんです。

考える行為=意識状態ですが、生きていく上でそりゃどうしても意識を使うことも多々あって、そうすることで安心だ、と思ってきましたが、実は無意識に委ねれば委ねるほど、本当に求める安心が手に入るんですよね。

しかも、無意識状態になるには、「心よ、」と話しかけるだけでいい。

無意識に委ねてると、何にも考えてないのに物事が進んでいるし、何も考えていない状態って気持ちいい〜。

無意識って本当に無敵ですね。

正しい合戦

本当に世の中とは、正しさを主張しあうものですよね・・・

なんだか、気がつくといつも「正しさ」に縛られている自分がいて、いつのまにか苦しんでいます・・・

ふ〜〜〜〜。。

どんな生き方が、正解か、素晴らしいか、尊敬されるか、

ひとつひとつの選択の、どれが正しいか、人から羨まれるのか、後悔しないか、、、、

自分にとって、社会にとって、国にとって、地球にとって、どれが正しいのか。

そんなの・・・

正解なんてあるわけないじゃん。


誰もが自分がまっとうだと、大きな声で正しさを主張しますが、どんなに悪事を働いていそうな人だって、どんなに信頼できそうな人だって、

「正しい」ことなんて言ってません。

善悪も、正しい間違いもそもそもないのに、そこにさも確固とした価値があると思い込んじゃうわたしたち!

今日もいたるところで、正しい合戦が繰り広げられていますねーーー!

執着なんて幻想

自分が執着していることってなんでしょうか?

お金、肩書き、美醜、親への思い、人間関係、衣食住にまつわること、さまざまなこだわり、夢、目標、成功といわれる人生、、、、

私も色々あります。過去と比べると今はだいぶなくなってきたな〜ってこともあるけど、自覚できてないこだわりもあるし〜。

支配者さんは、こういったいわゆる承認欲求を利用して、人を支配するのがとっても上手。そこに執着させることで、承認されなければ死ぬ〜!→執着→でもゴールにいつまでたってもたどり着けない(なぜならその執着がつくられた幻想だから)

ということを繰り返すはめになります。

こわ〜い!

執着こそがイリュージョンだから、さっさとそこから抜け出して、美味しいごはん食べたり、小さいことでも大きいことでも自分のやりたいことをやっちゃっていいんですよね〜。

いわゆる社会とよばれるものは意識的なものなので、どこまでいっても大体イリュージョン(支配さんの世界観)が幅をきかせていますから、「心に聞く」でいつも自分の真実はどれなのか、心に聞くのが良さそうです〜。

気楽でいい

いつもつきまとう緊張感、ってみなさんありますか?

私は今まで父親と接するとき、他人と接するとき、意識せずともどこか緊張していたと思います。

他人に対しては、嫌われるのは死に値する恐怖だったから(その時は自覚はないですが)いい人を演じるため、本来の自分をださないように壁一枚隔てて人と会話する、そんなイメージで接していました。

それは疲れますよね〜〜。新入社員時代なんて、そんな人間関係に対応するのにも必死なのに、仕事のあれこれを覚えて、また新しい人と挨拶したり会話しないといけないからすっごく疲れていました。笑

相手が求めているであろう一言を予想して(あくまで想像)会話するから、全く共感もできないし、いつまでたっても本当には気が許せない感じ。

今思い出すだけでもしんどいです〜。

 

だいぶトラウマもましになってきた最近では、人間関係がだいぶ楽になってきたな〜と思います。何も考えずに自分の気持ちをすっと言えるし、相手の感情を予想したり、感じたりってことがない。その相手に憑依しちゃう感じが、支配だったり執着なのかな〜と今では思います。

「違う人間だし」っていうのが根底にあるので、意見や反応が違うことに判断もない。当たり前だろ〜って感じ。

一緒にいて違和感があれば、だんだんと離れていくし、付き合わない。

本当に気楽でいいんだな〜って思います。

 

家族はボスキャラ

私の場合ですが、やはり家族に対する執着がなかなか根強いな〜と感じます。

家族以外では、過去に上司が支配者だったりしたことはありますが、やっぱり他人なので執着もそこそこに、なんとか心の中で境界線をつくれていたと思います。(とは言っても、言動に振り回されていましたが・・笑)

 

これが家族となると、境界線をつくるのがなかなか難しくてですね。

閉ざされた密室で暗示をいれられて催眠にかかっちゃって、シラフなら全然引っかからないのに、イリュージョンを真実だと信じきってしまう・・みたいな感じ。

なので、家族に対しては、境界線がぐちゃぐちゃで、つい「私がいないと!」「私がなんとかしないと!」「もっとこうしたらいいのに!」などなど、意識ばりばり執着ばりばりになっちゃうんですよね〜。そうして怒りや罪悪感などにまみれる・・・。

先日も家族に対して「なんでこうしないんだろう・・」って思ったことがあって、その出来事が終わってもずっともやもやしていたんですね。

これ、やだな〜〜って思っていて、なかなか邪魔もとれないので、どうしたらいいか心に聞いてみると、

 

もしそれが他人だったら、、?

どうでもいいと思うでしょう

本当のところは、家族だって別の人(他人)なんですよ

自分でもない他の人のことを

自分がどうにかしないと、とは思わないでしょう

それぞれ、やりたいようにやってるんだなって思うでしょう

その時々、自分が思ったことは言えばいい、その瞬間のことは

自分は不快だ、とか言いたいことはどんどん表現しよう

その後のこと、それ以外の時間のことはどうでもいいのです

どんな体験も、それぞれがやりたいことをやっているんだから

どうにかしようとした時、不快が始まる

つまり相手を操作しようとしたとき

それこそがイリュージョン

どうでもいい、と思う

そう思うと、楽じゃない?

 

と言っておりました。

 

どうでもいい〜って思えるかな〜。

どうにかしよう、と思ってる時点ですでにイリュージョンの中にいるってことなんですよね。

そして偽りの執着をさせられているだけで、本来の私は実は本当にどうでもいいと思ってるんです。

よし、やってみよう〜。